サントリー烏龍茶のCMと「中国」

サントリー烏龍茶のCMと「中国」

サントリー烏龍茶のCMと「中国」

サントリー烏龍茶のホームページへ行くと、最新の広告やCMが掲載されています。
2017年3月現在、「烏龍茶」のCM紹介はリンクが切れていて、画面を少しスクロールすると、「肉!ときたら、」というキャッチコピーが強調されています。
一方、「黒烏龍茶」の広告紹介のほうでは、YouTubeにアップロードされたCMが見られます。ミランダ・カーさんが日本語と英語を入り混ぜて「黒烏龍茶」のプレゼンテーションを大勢の聴衆の前で行っています。
「脂マネジメント。」というキャッチの「マネジメント」という言葉からは、これは特に忙しいビジネスマンを潜在ターゲットに制作したCMなのだろうかと推測されます。

ミランダ・カーさんが「黒烏龍茶」のCMに起用されたのは、2014年か2015年頃だったかと思います。私がはじめて見たのはテレビのCMではなくて、Yahoo!Japanポータルサイトのトップに表示されたバナー広告でした。記憶に残っているのは、サイドの余白に黒いドレスを着たミランダ・カーさんがすらりと立ち、スタイリッシュなボトルを手にしていて、そして「KURO」という美しいフォントの文字が目に飛び込んできたことです(細かい点は記憶違いがあるかもしれません)。「こうきたか」と、思わず唸り、普段は滅多にクリックしないバナー広告をカチッとクリックしたのを覚えています。

中国茶専門店のブログでこんなことを書くのはやや気が引けるのですが、サントリーの烏龍茶は、偉大な存在です。
お茶飲料(Soft drink)はお茶(Tea)ではないという理屈をこえて、サントリーの烏龍茶は、疑いもなく偉大な存在です。

烏龍茶ブームの嚆矢となった面もさることながら、長い間、サントリーの烏龍茶のCMでは、ひたすら「中国」が題材とされてきました。「中国」は、まるで通奏低音のように、烏龍茶商品の背景に常に意識され、描かれるべき像として、お茶の間のブラウン管/液晶パネルに茫洋と広がっていたのです。実際、80年代、90年代、2000年代と、サントリー烏龍茶の歴代CMを見ると、その時々の日本人が、「中国」というものにどういうイメージを抱いていたのかを窺い知ることができます。

1986年「家族篇」
相変わらず売れ行き好調で、いつのまにかCMを年一本、レギュラーでつくることになっていた。中国へは入国できなかったので、イラストにするしかなかった。春、 大人夫妻は美しい娘をさずかった。二人から三人へ。

1987年「お茶の葉主義/茶摘み篇」
アニメ展開に限界を感じ始めたとき、中国へ入れるという知らせが入った。ウーロン茶初の中国ロケ敢行CM。やはり最初は茶摘みだろうと、ウーロン茶の聖地武夷山にて茶摘み篇。中国は想像以上の異郷だった。

1988年「お茶の葉主義/茶工場篇」
前年の武夷山につづき、二大産地のもうひとつ 安渓の茶工場で撮影。当時は「日中国交」レベルのつきあいで、昼も夜も宴会。日本人はネクタイ着用だった。珍動物フルコース料理に感激しつつ、みな即席ラーメンを部屋で食べてた。

1990年「京劇院篇」
茶産地の福建省を離れ、中国を代表する大きなお茶としてのウーロン茶というつかまえ方に。京劇院にて、前を向く若者たちを撮影。カメラ上田義彦さん、監督前田良輔さん。ウーロン茶的広告世界が定まった。

サントリーウーロン茶 歴代CM集(SUN-AD 安藤隆氏コメント)より

 

80年代の「お茶の葉主義」というコピーをきっかけに、90年代-2000年代にかけて、一貫して中国現地でのロケを敢行しています。岩茶産地の武夷山、鉄観音の産地の安渓、そして水墨画の世界そのままの桂林へ。ロケ現場はお茶産地から離れることもありますが、そこでは「お茶」をモチーフとしながらも、人民服風ののどかな農村、伝統的な京劇舞踊やカンフー、まだ近代化の途上にあるかのような郊外の風景など、当時の日本人が一般的に抱く「中国」のイメージが肯定的にコラージュされていました。

それは、日本人の目を通して描かれた「中国」であり、中国の現実の風景を日本人の視点から「かくあれかし」と構成し直した仮構的理想郷であったかもしれません。

ただ、この烏龍茶CMを媒介として描かれた「中国」は、事実として日本人の無意識裡に鮮明な像を形作ってきました。2000年前後をピークとした日本国内での中国茶ブームは、いかに本場の高級茶を志向する専門店であったとしても、このサントリー烏龍茶のCMによって描かれた「中国」像に(直接、間接を問わず)大きく依存していたことは否定できません。いささか大仰に懐古するなら、戦後の日本が平和国家としてその繁栄の頂点を極めたとき、日本人にとっての「烏龍茶」は、まさに「中国」のイメージを代表する中心的な存在であったと謂えます。異国の茶畑からきた茶色で透明なきらきら光る不思議で素朴なお茶。そのお茶の中に、日本社会はスクリーン上にしか存在しない桃源郷のようなものを夢見ていたのです。

 

例えば、1992年の「ドライブ篇」と言われている30秒間のCMにおいては、冒頭から半ばほどまで、何の説明もなく中国語の会話が流れます。

二人の女性による中国語の音声は、静かな高音で揺れる電子音のBGMにかぶさり、意味は一切不明のままです。カメラは霧の中の林の風景をロングショットで捉え、その色彩は息をのむくらいに美しく、淡いブルーが灰色の粒子に溶け込んでいます。遠景に白いワンピースの中国人女性二人の半身がうっすらと浮かびあがります。つづいて、この霧の中の畦道をメーカーも年代も不詳の小さな白い車が音もなくゆっくり走り、そしてフェイドアウトします。流れている中国語の会話の意味をお茶の間の日本人は理解できません。というよりも、それを理解する必要もなく、その中国語の響きそのものに世界を変貌させる価値があると信じさせるかような密度の高い時間が流れます。

CMの20秒ほどでようやく日本語のキャッチが入り、髪の毛をまとめあげた白いワンピースの女性が遠くを眺めながらなにか飲み物の入った容器をゆっくりと口にし、フェイドアウトします。その瞬間の彼女の表情は神秘的で、うっすらと笑みを浮かべているように見えます。これが烏龍茶のCMだと分かるのは最後の1秒か2秒にボトルと缶のラベルが映るからで、見る人はわずか30秒の間にぎっしり2時間の映画を見たかのような眩暈に似た幻惑を体験します。

純粋に映像作品として見ても、この完成度の高さには刮目すべきものがあります。このような表現がテレビのCMで許容されていたのは、やはり当時の日本社会に「中国」をイメージする想像力の余地が大きかったからだと思われます。

そして、90年代末から2000年代に入ると、「世界の工場」と言われる中国へ実際に赴任/出張する日本人駐在員なども増え、「中国」の成長と実像が、烏龍茶のCMにおいては明るくポジティブなトーンで描かれることになります。折しも北京オリンピックの開催が決定し、広告制作の現場としても、「中国」にポジティブな価値を付与するのは自然な流れだったのかもしれません。
桃源郷はもはや夢見る彼方ではなく、その神秘性は薄れ、実在性を帯びたリアルな幸福感とともに描かれます。

チャイナドレスで踊る「上海ブギウギ」は、あろうことか「東京ブギウギ」のあられもないパロディであり、その陽気さと可愛さと明るい色彩感覚が、2002年の現実の上海の街並の中に描写されます。遠い桃源郷の代わりにあるのは、おいしそうな桃の形の饅頭であり、ガラス越しに調理する小龍包であり、外灘のクルージングであり、それらは多くの日本人が実際の中国旅行で経験するものと同じ肌合いのリアリティーで表現されています。

また2000年代CMで使われた「自分史上最高キレイ」「中からきれいになる国」「自分をお強く」などというコピーは、2017年の現時点からはまったく想像もできないほどに楽観一色で、その中国/中国茶へ注がれた日本社会からのまなざしは、わずか10数年前とは思えないほど隔世の感があります。
2003年、厳寒の大河をジャケにしたサントリー烏龍茶のCMソング集がCDになりましたが、おそらく、清涼飲料市場でのウーロン茶の出荷数も、この頃がビークだったのではないかと思います。

 


ウーロン茶CMソング Amazonで購入

 

このポジティブなトーンに変化が生じるのは、2005年の反日デモ以降で、上記SUN-AD様のサイトには、その年の現地ロケが中止になった由も記載されています。その後、品質訴求のためいったんは茶畑シーンに回帰しますが、広告としてはややインパクトに欠けたのでしょうか、2006年に入ると、まだ多くの人にとってその記憶に新しいであろう「姉さんは、ずるい」のシリーズがはじまります。
それまでの「お茶の葉主義」路線から、食事と一緒に飲む烏龍茶という、現在の「黒烏龍茶」にもつながる機能的な側面に焦点をうつすことになります。

しかし、この「姉さん」シリーズにおいても、その姉妹がまさに中国人であり、中国語で会話をしているという設定において、烏龍茶のCMから「中国」が消えたわけではありません。
舞台は普通のキッチンであったり、プールサイドであったり、バレエの練習室であったりと、ステレオタイプな「中国」は影をひそめましたが、彼女たちの話す中国語はソフトに心地よく響き、「中国」はまだ日本のお茶の間において、特にその音声において、一定のイメージを持ち得ていました。しかも、ほとんどの中国語のセリフには日本語字幕がつき、設定もシナリオも視聴者に理解されるべきものとして演出されていたのです。
トントンという名の妹は、容姿端麗な大学生の姉に憧れと嫉妬のまざったコンプレックスを抱いています。姉はいつもあんなにたくさん食べるのに、太らない、、、姉の手料理はとても美味しい、、、姉にはボーイフレンドもいる、、、私は綺麗になるためにバレエをはじめた、、、なかなか上手くならない、、、でもがんばる、、、この時、日本人は、この「中国」を軸として描かれた二人の姉妹のストーリーを、日本社会と同一線上にある日常の世界として受け入れていたのかもしれません。
異国の理想郷は旅行的なエキゾチシズムを経て、今度は日常世界の延長にある地続きの空間として描かれました。ここに、「日本」と「中国」の奇妙な融合が、CMという短く儚い映像上で実現したのです。

その証拠に、2009年には「君とはじめて飲んだお茶、イー、アー、サン、スー、ウー、ロン茶、・・ロン、ロン、ロン、ロン、ウーロン茶」と、中国人の母娘、そして父娘が、全編を日本語/中国語混じりで歌うCMが制作されています。
サントリー烏龍茶20年来の到達点といっていいような表現かもしれませんが、皮肉にも、これを境にCMの方向性は反転し、「中国」と向きあうための内実の構想力を徐々に失っていくことになります。

最後に「中国」が描かれたのは、同上SUN-AD様サイトの記述によると、ファン・ビンビンさんが福建省アモイの海岸でカツサンドを頬ばりながら「烏龍茶」を飲んでいるシーンです。
これも「食事+烏龍茶」という路線で、スクリーン上の「中国」はかなり中和されたものになっていますが、ヒロインが有名な中国人女優であり、BGMにアラレちゃんのテーマソングが中国語で歌われていたりもするので、その通奏低音に「中国」を使おうという意思が残っていたことは間違いありません。「中国」でありながらも「日本」と通じ、しかしそれが現実にどこにあるのか分からないような世界。アモイの海岸は限りなく中性的で、それがアモイだと説明されなければ、そこが「中国」だとはほとんど誰にも認知されません。ファンさんは一言半句も何語も話さず、ただ食べ、ただ飲み、カメラはその表情を執拗にアップで映します。

ファンさんの食べるものは、カツサンドだけではなく、カレーであったりラーメンであったり小龍包であったりしますが、主眼は「食べる」というシーンを強調することです。
2006年の「姉さん」シリーズにおいては、中国人姉妹と彼女たちの中国語の響きで象られる生活感がその舞台設定の中心を占めていましたが、ファン・ビンビンさんのシリーズにおいては、「中国」的なるものはCMを構成する二次的な要素にとどまっています。モチーフとしての「中国」は、日本のお茶の間の空気を壊さないよう配慮されており、それらはすべて置き換えることの可能なインテリア/小道具として周到に配置されています。ある意味、この段階ですでに「中国」を舞台として撮影する優位性は失われつつあったと見るべきかもしれません。
これが2011年のことで、以後、烏龍茶のCMから「中国」はほぼ完全に姿を消すことになります。

2011年は震災の年として記憶されますが、中国との関係でいうと、この年の初め、中国のGDPが日本のそれを抜き、中国が世界第2位の経済大国になるというニュースが流れました。
そして、翌2012年秋には、再び反日デモが(2005年よりも大規模な動員で)発生します。この際の日本語メディアの報道は、日本人の対中感情を悪化させた決定的なものでしたが、SUN-AD様のサイトを読むと、このデモ発生よりも前に、すでにCMの撮影現場を日本に切り換えていたことが分かります。時代の空気に敏感でないと広告制作は難しいのでしょうが、二十数年つづいた中国ロケをやめるのは、大きな決断だったのではないかと思います。

その意思決定がどんなものだったのか、一般には知ることはできないのですが、中国ロケで烏龍茶CMの撮影を担当されていた上田義彦氏の言葉は、いま読んでみても、とても示唆に富んでいます。

サントリーウーロン茶の写真やCMを撮ったり、演出したりしながら、約20年が経とうとしています。中国のあちこちに行き、印象深い人々と出会ううち、「はるか感」などと言い始めたのは、中国の広大な土地と人々の暮らしを見て、自然に出てきた言葉です。
この広告作品を通して、もう一人の私が自然に立ち上がってきたように思います。ゆっくりと流れる時間の中にどっぷりと身を浸し、安藤隆氏、葛西薫氏、高上晋氏らと広告をつくる。そうやって出来上がって来るものへの喜び、これは一人でつくる作品では味わえない全く別の喜びです。この仕事と関わることが出来た幸せを、とても強く感じます。
そんな中で起こる中国での出来事は、私にとって、不思議な言い方に聞こえるかもしれませんが、全て夢の中のように思えます。そしてこのサントリーウーロン茶の広告をつくるために集まったたくさんの人々と一緒に、夢をつかまえる旅だと思っています。その旅が終わり、飛行機が日本の空に近づくと、急に現実に帰って来たのだという、何か夢から覚めたような淋しい気分を抱くようになりました。 私にとってサントリーウーロン茶の写真を撮ることは、それを見る人々に一瞬の夢を見てもらう、いわば夢先案内人のようなものだと思います。いい夢を見てもらえるように、私自身、いい夢を見ようと思っています。

サントリーウーロン茶という広告を巡る旅の夢 Fotonoma 上田義彦氏インタビュー(2008年12月)より引用

 

今思うと、ウーロン茶の仕事は宝物をいただいたんだなって思います。もう2度とできないような仕事を、ある時期、ちゃんと、精一杯やらせていただいた。これまでの広告を見て、つくづく思います。

AdverTimes 上田義彦×葛西薫が語る写真と広告「光、形、言葉、なにやらかにやら」(2014年10月)より引用

 

対談の語り口から、上田氏、葛西氏、両氏ともにすでにサントリー烏龍茶のCM制作には携わっていないことが推察できます。少なくともCMを完全に過去のものとして語っている上田氏の降板は明らかで、2012年前後に、サントリー烏龍茶のCM制作チームの編成に大きな変更があったことが想像されます。

事実、2013年からの烏龍茶CMは、日本人の普段の食生活にとけこんだ「烏龍茶」を描きます。肉、脂、食事などというキーワードを軸に、日本人の日常の食生活に「烏龍茶」をひきつけることによって、CMはその商品としての日常性を強調しようとします。舞台は日本、メインの出演者は日本人のみ、語られるセリフも日本語のみです。それは、もしかしたら「夢から覚めた淋しい」ものかもしれませんが、「中国」にポジティブなイメージを投影するのが難しくなってしまった日本社会の「現実」でもあります。

「肉!ときたら、ウーロン茶」という断定は、従来からの「食事+烏龍茶」路線をさらに推しすすめたものですが、このコピーには、それまで烏龍茶CMを構成してきた「中国」的要素の不在を不問にするかのような号令的な響きもあります。CMのキャプションが新聞の折り込み広告のようにベタなのもおそらくは確信犯で、ここで志している唯一のことは、ウーロン茶という「中国」のお茶が、「日本」のお茶の間の空気とさかしらに対立しないようにすることです。そして、それは数字的には一定の成果を得たのだろうと思います。

かくして「烏龍茶」から「中国」のイメージが薄くぼやけて見えにくくなった、満を持してとさえいえるようなタイミングで、冒頭にも触れた、ミランダ・カーさんの登場になります。

ミランダ・カーさんの黒烏龍茶のCMは、「中国」を完全に封印することによって成立しています。 「中国」というものを、表層上微塵も感じさせないことによって、その商品としての日常性、日本人の食生活と共にある「烏龍茶」をアピールしています。

これは、今の日本人にとって、「中国」がネガティブな像になってしまっているから、その負のイメージを商品から払拭したという風に解釈するのが自然かもしれません。しかし、果たして本当にそうなのか。確かに、CMは商品の売上を伸ばすためにあるのだから、わざわざ「中国」を前面に出してマイナスになるようなCMをつくってどうするのだ、と考えるのが妥当でしょう。しかし、本当にそうなのか。
私は数年前にYahoo!Japanのトップページで黒いドレスに身を包んだミランダ・カーさんの颯爽とした姿に虚をつかれて以来、この「本当にそうなのか」という問いを、何度も自分の中で繰り返しています。
なぜなら、もし仮に同じようなコンセプトのCMが中国のテレビで放映されたとしても、それは多くの中国人にとってなんの違和感もなく、概ね好評価で受け入れられるだろうと容易に想像されるからです。ただし、ヒロインの女優は “英語/中国語” を話し、コケティッシュなチャイナドレスを着ることになるかもしれませんが。

ミランダ・カーさんは、日本人でも、中国人でもありません。彼女の存在は、日本人に「中国」のことを忘れさせてくれるカムフラージュではありますが、同時に、彼女の黒烏龍茶のCMは、「日本」と「中国」という二項対立的な視点そのものを無化し、第三者的立場からその商品の価値を語りかけるニュートラルな視座を内在しています。なので、あとはそれを「日本」のサイドから演出するのか、「中国」のサイドから演出するのか、その視差こそが本質的な問題ということになります。

同じものを見るにも、違う角度から見ると、別のものに見えることがあります。こちらから見えるものが、あちらからは見えないということもあります。逆に、こちらからは見えないものが、あちらからは見えるということもあります。見えるものと見えないもの、そしてそれによる人間の認識/感情のぶれは、視差が生み出している現象としての歪みであって、そのぶれや歪みそのものに実体はありません。
極端に逆説的な言い方をするなら、ミランダ・カーさんの存在は、日本社会が潜在的に見たいと願っている「中国」像のアレゴリカルに変容した歪な代替的投影である、という解釈さえ成り立ちます。

ありきたりの表現ですが、CMは時代を映す鏡です。そして、その見方で考えるのなら、「中国」は烏龍茶のCMから消えたわけではなく、日本人の心象から「中国」が消えたのだということになります。より正確には、「消えた」わけではなく、「消えた」ということにしておきたい、見たくないから見ない、聞きたくないから聞かない、ミュートにしておく、と敷衍するのも、あながち見当違いとは言えないのではないでしょうか。

スクリーンの表層から消えた「中国」は、日本人の無意識裡に冥冥と漂流していて、いつかまた、その像を(ポジであれ、ネガであれ)結ぶことがあるかもしれません。それがいつになるかは分かりませんが、私はまたサントリー烏龍茶のCMに、新しい「中国」が現われることを、静かに、心ひそかに期待しています。

小林

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