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茶経7 陸羽の時代の茶の種類「餅茶」について

茶経7 陸羽の時代の茶の種類「餅茶」について

小林

唐の時代の製茶風景イメージ
Published On: 2010年12月6日Tags: , ,

陸羽の「茶経」を読む、第7回目です。

今回は、第6章第3節の前半をもとに、陸羽の時代の茶の種類について、できるだけ簡略にまとめたいと思います。

「飲茶には粗茶・散茶・末茶・餅茶がある。

(粗茶は)切って作り、(散茶は)炒って作り、(末茶は)焙り、(餅茶は)臼づく。」

(引用元:布目潮渢「茶経詳解」淡交社 160ページ 一部字体等変更)

粗茶、散茶、末茶、餅茶の4種類があるとのことなのですが、実際に「茶経」の中で陸羽が評価し、大いに語っているのは、餅茶についてです。

「茶経」の中の製茶道具(第2章)、製茶法(第3章)、茶器(第4章)、茶の煮立て方(第5章)など、すべて餅茶を基準に書かれています。

その他の粗茶、散茶、末茶については、「茶経」においては、残念なこととに、詳細に書かれていません。

なので、布目さんの解説でも、この3種については、「茶経」以外の文典や習俗の研究から、おおよその意味が仮説のような形で差し出されているだけです。

「粗茶・・茶の葉を摘まないで、枝ごと取り、そのままあぶって葉を湯に入れ沸騰させて飲む、もっとも原始的な飲み方ではなかろうか。」

「散茶・・散はばらばらになったもので、ここでは葉茶を指すとしたい。

採茶された葉を火乾しただけの葉茶であろう。」

「末茶・・末は粉末の意にも用いる。煬は乾燥を主にした短時間の火乾とみなしたい。

茶採みした葉を火で乾燥して粉末にするのであろう。」

(同上、161-162ページより引用、編集)

「ではなかろうか」「を指すとしたい」「であろう」「とみなしたい」等、いずれも文意を断定する強い言葉ではなく、仮説、推測、あるいは問題提起としての軽い結語となっています。

この中でも、あくまで推察ではあるのですが、散茶は、現代の一般的な中国茶(散茶茶葉)の原型とも言えますし、末茶は、日本の抹茶(但し蒸して乾燥)の原型とも言えるでしょう。

それでは、陸羽の勧める「餅茶」とは、どんなお茶なのでしょうか?

餅茶というと、現代でも、円盤の形をしたプーアール茶のことを餅茶ということがあります。(雲南七子餅茶など)

なので、イメージとしては、この固められた茶のことを思い浮かべます。

もちろん、雲南七子餅茶と唐の餅茶には製法で大きな違いがあり、また、大きさや形状でも違いがあります。

陸羽の時代の餅茶は、銅銭ほどの大きさだったようで、円形以外にも、四角や花形、靴のような形、水牛の胸のような形など様々な形をしていたようです。

ただ、両者ともに、固まった固形のお茶というその外見上のイメージは類似していると思います。

餅茶の製法については、「茶経」第3章2節にこう要約されています。

「晴れた日に茶採みをし、(こしきで)蒸し、(杵臼で)つき、(承の上で)たたき、(ほいろで)焙り、(さしに)通し、(育に)封じ、茶は乾燥してできあがる。」

(引用元:布目潮渢「茶経詳解」淡交社 67-68ページ)

晴れた日に茶摘みをするのは、これは現代にも通じることで、雨や湿気が製茶の妨げになるからだと思われます。

特徴的なのは、蒸す工程です。(現代の中国茶に蒸し茶はありません。)

以下、布目さんの解説を基に、餅茶の製法を簡略にまとめてみます。

  1. 木製のせいろか素焼き製のこしきをかまどに泥で塗り固め、かご入りの茶葉をこしき(せいろ)の中に入れて、蒸します。
  2. 蒸し終わったら、杵と臼を使って茶葉をつきます。
  3. 承という四角い石の台に布を敷いて、その上で、鉄製の型枠に入れた茶葉を、たたきながら押し固めます。
  4. 型押しした固形茶を、竹の皮で編んだふるいに並べ、天日で乾かします。
  5. 乾いた固形茶に、きりで穴を開けます。
  6. 竹のくしを固形茶の穴に串刺しにして、焙炉(ほいろ)という器具の上で火にあぶります。
  7. あぶり終わった固形茶を、竹や木の皮をよじった紐でさし通します。
  8. 木製二段の育という貯蔵ケースに固形茶を入れます。茶は上段にいれ、下段には火桶があり、乾燥器として貯蔵、保存します。

以上です。

この餅茶の製法は、陸羽が新しく考え出したものではなく、すでに魏晋の時代(陸羽の生まれる200年以上前)から行われていた模様です。

(参考:布目潮渢「中国喫茶文化史」岩波現代文庫 86-87ページ)

布目さんの「茶経詳解」には図版も多く、イメージが湧きます。

例えば、1.の蒸す工程は、昔の家のかまどで米を炊く風景を連想しますし、6.のあぶりの工程は、まるで焼き鳥を焼くような図柄が掲載されています。

しかし、正直なところ「茶経」の記述を読んだだけでは、当時の餅茶の実体はよく分かりません。

陸羽は餅茶の鑑定として、形状や色ツヤ、また表面の皺の寄り方など、主に外見上の判断について書いていたりもするのですが、その検証の仕様もありません。

布目さん自身も陸羽の餅茶を再現する試みをしていますが、「全体としてよくわからない」と嘆いてもいます。

ただ、「茶経」を読むにあたっては、当時の茶が、今の一般的な中国茶(茶葉)とは違い、蒸して固める固形茶であったということは、とりあえずの事実として理解しておく必要があるでしょう。

次回は、この餅茶の飲み方について触れたいと思います。

それでは続きは次回で。

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