先日、東京浅草で開かれた「地球にやさしい中国茶交流会」を訪れました。
この中国茶交流会は、毎年行われているようで、私ははじめてだったのですが、予想していたよりも会場が広く、出店されているショップさんもとても多くて、びっくりしました。
その中で、今回私が参加させていただいたのは、留香茶藝さんの「一陽来復~陰陽の茶席~」です。
シンガポールの留香茶藝流派で資格取得をされた日本の茶友会のかたのアーティスティックな茶席で、一般的な中国茶の茶芸とはだいぶ趣を異にしていました。
テーブルコーディネイト、茶器の選定、また、どんなに良い茶葉も煎数は3煎までや、茶器の洗浄も茶席の流れに含めるなど、大陸の中国人にはない視点や発想で美しいお茶の空間を創出されています。
一陽来復というと、早稲田の穴八幡宮のお守りを連想しますが、もともとは「易」を由来とした言葉で、陰の符号5本に陽の符号1本で表される旧暦11月の季節(冬至)を指しています。
純陰の卦から再び陽の卦が下に一つ兆すということで、この時期を境に、陰から陽へと季節が移り変わっていくので、転じて物事が良い方向へ進むという意味でも使われます。
陰の茶席では清香系の鉄観音、陽の茶席では濃香系の鉄観音1992年老茶を頂きました。
それぞれの茶席は、陰=月=女性、陽=日=男性を象徴するようなテーブルコーディネイトと茶器の選定がなされていましたが、両席が二元論的に対立するというニュアンスはなく、陰は陰として前後があり、陽は陽として前後があり、陰の中には陽が潜み、陽の中には陰が潜み、どちらもそれ自身で完結された空間でありながらも、同時に、コントラストな演出によってそれぞれの茶葉の味わいが深くなるというような、相補うパラレルな要素を強く感じました。
また、私が特別に心に残ったのは、お茶を頂いたあと、それで茶席が終わりになるのではなく、茶器の洗浄をその席の流れの中で行い、茶席に参加した人みながそれをじっと見つめていたことです。
中国茶では、淹れる前に茶器を温めるためにお湯で流したりもしますが、留香茶藝さんの茶席では淹れる前だけでなく、淹れた後においても茶器にお湯をそそぎ、また、それぞれの茶器をお湯で丁寧に洗浄します。
その茶器の洗浄も茶席であり、茶器を洗っている間の時間の流れの強度が、なんというか、お茶を頂いている間の時間の強度よりも鮮明に印象に残るため、もしかしたら、茶席というものは本来お茶を頂くのが目的ではなく、むしろ、茶器を洗うためにお茶を頂く、その茶器を洗う主の滑らかで流麗な手つきをじっと見るためにお茶を頂いたのではないかという、複雑な感情に駆られます。
これは、道具を大切にするということでもあるのでしょうが、しかし、それ以上に、この茶器を洗う時間の流れ方の強度が一体どんな思想を担っているのか、なかなか難しい問いです。
茶芸は、お茶の空間全体としてありますが、空間だけでなく、そこに時間が流れないと一つの宇宙にはなりません。
人が時間を感じるためには、集中力のようなものが必要で、なにかに集中して自分の意識がその流れと一体化していると、自分の意識は流れている時間そのものに近づきます。
そして、時間というものは、循環をします。茶席の終わりに茶器を洗うのは、茶器を洗う=次の茶席のはじまりということでもあり、これは、終わりがはじまりに繋がるという「易」の思想の顕れなのかもしれません。
また、禅では、食事や食器の洗い方にも作法がありますが、それは、そういう日常の動作一つひとつが禅であるという世界観に基づいています。留香茶藝さんの茶席にも、それに通じるものを感じました。
左が陽の茶席、右が陰の茶席です。
留香茶友会のかたは、シンガポールの李自強先生を師匠とし、それぞれ中国茶サロンや講師などとして活動されています。
今回、陰の茶席の堀井様と小西様は、ZENVAVA-禅ファッションの禅意茶服を素敵に着こなしていただきました。ありがとうございます。
小林
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