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茶経11「ああ天が万物を育てるのに・・・」陸羽の嘆き

茶経11「ああ天が万物を育てるのに・・・」陸羽の嘆き

小林

陸羽の嘆き
Published On: 2011年10月2日Tags: ,

陸羽の「茶経」を読む、第11回目です。

第8回-10回までは、餅茶の飲み方として、代表的な茶器「風炉」の説明などをいたしました。

今回は、第6章に戻り、続きの第4節から読みたいと思います。

「ああ天が万物を育てるのに、すべてきわめて巧妙なところがある。

人がつくるものは、ただ浅薄安易をあさっている。

風雨から遮蔽されているのは家屋であり、家屋は優れ極めている。

寒さを防ぐために着ているのは衣類であり、衣類は優れ極めている。

飲と食は飽くほどしていて、食と酒はみな優れ極めている。」

(引用元:布目潮渢「茶経詳解」淡交社 164ページ)

この箇所では、陸羽の伝えたいことは、表面上、かなり明快に書かれています。

天の育てる万物は巧妙だが、しかし、人がつくるもの(家や服や食べもの)は、いかに優れていようとも、浅薄安易なものである。

このように、陸羽が自分の意見を感情的に表現するのは、ストイックな描写の多い「茶経」の中では、とても珍しいと思います。

布目さんは、さらにこう解説しています。

「天然自然のものでよいのに、衣食住に人工の華美を極めていることを批判し、暗に茶こそ天然の美味があるとを述べようとしている」

(布目潮渢「中国喫茶文化史」岩波書店 179ページ)

華美な衣食住への批判的なまなざしがあるのは確かだと思います。

しかし、「暗に茶にこそ天然の美味がある」とは、どうでしょうか?

茶が天に育まれたものなのか、人のつくったものなのか、陸羽はここで、はっきりと明言はしていません。

文意を反語として理解すれば、布目さんのような解釈は正当だと思います。

が、実際には、この節の要は、陸羽が反語でしか語れないということ、正にそのものの中にあるのではないでしょうか。

茶は、ある時は天のものでもあるし、ある時は人のものでもあると、私は考えます。

それは、天のものとも言えないし、人のものとも言えない、そういう二重性も孕んでいると思います。

茶が文化として普及、流通するならば、そこには、家屋や衣類や飲食飲酒と同様に、

天のものではない要素がどんどんと増えていくでしょう。

しかし、一方で、そうして広く普及した茶にも、天のものとしての要素は、幾許かなりとも備わっているはずです。

なぜなら、どんな茶葉も、自然の恵みの中で育まれるからです。

「ああ天が万物を育てるのに、すべてきわめて巧妙なところがある」

陸羽の嘆きは、そうした茶の矛盾にこそあるのかもしれません。

それでは続きは次回で。

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